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父の命日と母の四十九日 [暮らし]

ようやく朝から青空を仰ぎ見ることができた。半袖シャツの上に薄いジャンパーを着て、7時40分に散歩に出たら、洗足池に着く頃は暑くなって脱いだ。平日の8時台は早朝より人が少なくて静か。風もなく、穏やかな池面をカモたちが悠然と泳いていて、まことに平和な風景だった。網を持った小学生の男の子が3人いたので、学校休みなの?と聞いたら、土曜日が運動会だったので振替休日なんですと。晴れて良かったねと言ったら、ラッキーでしたと元気な返事が返ってきた。


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本日の洗足池

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住宅街を歩いていて見かけた花。山茶花の見事な生垣がある家の前をしばらくぶりに通ったら、もう何輪か花が開いていた。

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猫ちゃんは朝日を浴びて、気持ち良さそうだった。

今日は25年前に亡くなった父の命日。それに合わせて、8月末に亡くなった母の四十九日の法要が行われた。コロナで施設に入所していた母と会えなくなってからちょうど2年半が経った頃に102歳で逝った。弟夫婦2組は亡くなる2日前に母の部屋で面会が許され、その時に私もビデオ通話で母の顔を見させてもらった。通夜と葬式は家族だけで、子ども・孫・ひ孫全員出席したが、私は夫のことがあるので出ることが叶わなかった。退職後に実家に通って、母との思い出をたくさん残すことができたので、全く悔いはない。

一世紀生きた母の一生は、同世代の女性同様、戦争の影響を抜きにしては語れない。嫁に来て3カ月で夫が出征、その後ビルマで戦死。舅・姑に仕えながら、農作業から家事までこなし、戦後は私の父となる5歳年下の義弟と再婚。私のすぐ下に生まれた長男を3歳で亡くしている。義両親を家で看取り、77歳で再び未亡人になった。その後は近所や親戚の人がよく母を訪ねてくれていたので、母なりに一人暮らしを楽しんでいたように思う。70年以上住んだ家で、96歳まで自立して暮らすことができたのだから、いい人生だったのでは。母に見習って、私も元気で頑張らねば。
コメント(2) 

コメント 2

サーヤ

驚きました、ご冥福をお祈りいたします
お母様の人生はブログで拝見する限りでも波乱万丈でしたね

いつまでも生きて欲しいと思いますが、今は傍にいらしていて見守っていてくれていると思いますよ
私も夫の49日を迎えましたが、以前より夫に話しかけていることが多いです 
タンメンさんのブログにも書かれていましたが、力仕事をしてくれる人がいなくなり、日常のこまごましたことが、本当に大変です
例えばかぼちゃを切るなとですね~~

夫の趣味であった庭仕事は私が引き継ぎましたが、これも力仕事もありますので、重たい鉢が持てないぞ、なんてことにぶち当たっています
旦那様との生活大変と思いますが、是非できる限りのサポートをしてあげてください 応援しています
by サーヤ (2022-10-11 19:56) 

clifton

サーヤさん、ありがとうございます。
母は十分に生きたし、私は母との時間が大切な思い出として

サーヤさんはパソコンに詳しいから、羨ましいです。
夫はパソコンの扱いがほぼわからなくなり、朝から何度も
呼びつけられますが、何度言っても学習できません。やたら、
あちこちクリックして、フリーズしたり、変なサイトに行って
しまったりするたびに、私のパソコンで対処法を調べて、なんとか
使っています。私が夫に聞いていたこと、やってもらっていたこと
が私自身がやる羽目になってしまいました。

サーヤさんもこれから介護のお疲れが出るでしょうから、どうぞ
お体を大切になさってください。
by clifton (2022-10-12 07:14) 

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