ブエノスアイレス滞在記(その4:アメリカ人はパーティーがお好き) [旅]
ブエノスアイレスに到着した20日の夜、早速パーティーに招かれた。パレルモという地区の閑静な住宅街に建つ高層マンションの28階から、はるか向こうに落ちる太陽と眼下に広がるビル群を眺めながらの11人でのディナー。
ホストのレイは79歳、ホステスのレイチェルは70代前半。12月中旬から3月中旬まで、クリーブランドから避寒のために、3ヶ月間ブエノスアイレスに滞在するという生活を6年続けている。
落日を見ながら飲むワインは最高だった。
ラ・プラタ川の向こうはウルグアイ。フェリーで3時間。
9時からのパーティーでも、すぐには食事にありつけない。まずはちょっとしたものをつまみながら、ワイン片手に1時間ほどおしゃべり。初めて会った人たちと話すのは日本語でも大変なのに、ましてや英語となると、もはや拷問に近い。限られた語彙力から、言いたいことを表現するのは至難の技。こんなときに電子辞書なんて役に立たないし。
料理はキッチンに並べてあって、ホステスが食事ですよーと言ったら、各自で取りにいく。
22日はディックとジャン主催のパーティー。ディックが出したメールでの招待状に「A Party with the theme of the Americas meet Japan」とあり、私たちも協力せねばと酒類や食料品を日本から持参した。参加者はアメリカ人9名、アルゼンチン人12名、インド人1名、それに私たちの24名。9時に始まり、最後の客が帰ったのが2時。
ジャンたちが昨年借りた同じマンションの12階は今はインド大使館が借りていて、一等書記官の方が住んでいる。ジャンは12階のベランダにあるテーブルが必要だから、彼も招待しようと言って、ちゃっかり借りてきた。大学の研究者である奥さんはお子さんとカリフォルニアに住んでいて、単身赴任だそうだ。
ホストのディックは、以前Tさんからプレゼントされた甚平姿。
前日にジャンと最終的なメニューを打ち合わせ、近くのスーパーで買い出し。私がちらし寿し、鶏肉の照り焼き、アボガドのワサビ醤油入りマヨネーズ合え、和風グリーンサラダ、野菜カレー(インド人が見えることになったので急遽追加)を、ジャンがヒレ肉のロースト、白身魚のオリーブオイル焼き、トマトサラダ、キュウリとタマネギのサラダ、ジャン風?ソバを作った。料理はどれも好評で、ジャンはパーティーは成功だったとご満悦。
煎餅類のつまみが人気だった。
ジャンがクリーブランドから持参したそばを茹で、メモしてきたレシピで作った。ピーナッツバターに醤油やごま、ごま油を入れて作ったソースにからめたもの。初めはエッーと思ったが、これが意外と美味しかった。
飴、台湾のドライマンゴー、空港で買った白い恋人。白い恋人はあっという間になくなる。
レイチェル、ジャン、マリア
レイチェルの上着の背中に浮世絵が。パーティーのテーマに関係したものを身に付けてくるところがいかにもアメリカ人らしい。サンフランシスコで買った服だそうだ。
26日、マリアに女性だけマテ茶パーティーに招かれた。マリアはアルゼンチン人、ご主人のケンはワシントンポストで30年間カメラマンをしていたアメリカ人。リタイア後、ブエノスアイレスに住んでいる。カメラマンの給料は安かったので、年金でアメリカで暮すのは大変だが、ここならなんとかやっていけると話していた。
マテ茶はミネラルや鉄分が豊富で、「飲むサラダ」と呼ばれるほどで、肉食にいいらしい。本来はひょうたんの中をくり抜いた容器で、金属製のストローを使って、回し飲みをする。砂糖を入れてもいいし、入れなくてもいい。ちょっと苦味があるけど、干草の香りがして、まあまあ飲める。半数の人たちは苦手だったようだ。
ウォーターゲイト事件で辞任するニクソン、ワシントンのバーでのマレーネ・ディートリッヒなど、かつてケンが撮った写真が壁に飾ってあった。
29日、再びレイ宅でパーティー。今回は総勢18名で、イタリア人女性も一人いた。ジャンはトマトのサラダと焼き洋ナシのワインソースかけ、私はポテトサラダを持参。
アルゼンチン人で、ヒューストン在住の外科医と麻酔医のお二人は既にリタイアしたが、30年前、国際学会で日本に来たことがあり、物価の高いのには驚いたが、どこもクリーンで人々が親切だったとおっしゃっていた。
ジャンとリンダ。リンダとは10年前、メキシコのリゾート地で、アメリカ女性5人、日本女性3人で一緒に1週間コンドミニアムで過ごしたときに初めて会った。当時はシングルでバリバリのキャリアウーマンだったが、現在はディックが紹介した16歳上のピートと結婚している。
メインは羊のロースト。赤ワインにぴったりで美味しかった。
ホステスのレイチェルと女性客たち。
通いのメイド、リデア。
パーティーが終わりに近づいた頃、いつのまにか男性と女性と別々のテーブルになっていた。
ホストのレイは79歳、ホステスのレイチェルは70代前半。12月中旬から3月中旬まで、クリーブランドから避寒のために、3ヶ月間ブエノスアイレスに滞在するという生活を6年続けている。
落日を見ながら飲むワインは最高だった。
ラ・プラタ川の向こうはウルグアイ。フェリーで3時間。
9時からのパーティーでも、すぐには食事にありつけない。まずはちょっとしたものをつまみながら、ワイン片手に1時間ほどおしゃべり。初めて会った人たちと話すのは日本語でも大変なのに、ましてや英語となると、もはや拷問に近い。限られた語彙力から、言いたいことを表現するのは至難の技。こんなときに電子辞書なんて役に立たないし。
料理はキッチンに並べてあって、ホステスが食事ですよーと言ったら、各自で取りにいく。
22日はディックとジャン主催のパーティー。ディックが出したメールでの招待状に「A Party with the theme of the Americas meet Japan」とあり、私たちも協力せねばと酒類や食料品を日本から持参した。参加者はアメリカ人9名、アルゼンチン人12名、インド人1名、それに私たちの24名。9時に始まり、最後の客が帰ったのが2時。
ジャンたちが昨年借りた同じマンションの12階は今はインド大使館が借りていて、一等書記官の方が住んでいる。ジャンは12階のベランダにあるテーブルが必要だから、彼も招待しようと言って、ちゃっかり借りてきた。大学の研究者である奥さんはお子さんとカリフォルニアに住んでいて、単身赴任だそうだ。
ホストのディックは、以前Tさんからプレゼントされた甚平姿。
前日にジャンと最終的なメニューを打ち合わせ、近くのスーパーで買い出し。私がちらし寿し、鶏肉の照り焼き、アボガドのワサビ醤油入りマヨネーズ合え、和風グリーンサラダ、野菜カレー(インド人が見えることになったので急遽追加)を、ジャンがヒレ肉のロースト、白身魚のオリーブオイル焼き、トマトサラダ、キュウリとタマネギのサラダ、ジャン風?ソバを作った。料理はどれも好評で、ジャンはパーティーは成功だったとご満悦。
煎餅類のつまみが人気だった。
ジャンがクリーブランドから持参したそばを茹で、メモしてきたレシピで作った。ピーナッツバターに醤油やごま、ごま油を入れて作ったソースにからめたもの。初めはエッーと思ったが、これが意外と美味しかった。
飴、台湾のドライマンゴー、空港で買った白い恋人。白い恋人はあっという間になくなる。
レイチェル、ジャン、マリア
レイチェルの上着の背中に浮世絵が。パーティーのテーマに関係したものを身に付けてくるところがいかにもアメリカ人らしい。サンフランシスコで買った服だそうだ。
26日、マリアに女性だけマテ茶パーティーに招かれた。マリアはアルゼンチン人、ご主人のケンはワシントンポストで30年間カメラマンをしていたアメリカ人。リタイア後、ブエノスアイレスに住んでいる。カメラマンの給料は安かったので、年金でアメリカで暮すのは大変だが、ここならなんとかやっていけると話していた。
マテ茶はミネラルや鉄分が豊富で、「飲むサラダ」と呼ばれるほどで、肉食にいいらしい。本来はひょうたんの中をくり抜いた容器で、金属製のストローを使って、回し飲みをする。砂糖を入れてもいいし、入れなくてもいい。ちょっと苦味があるけど、干草の香りがして、まあまあ飲める。半数の人たちは苦手だったようだ。
ウォーターゲイト事件で辞任するニクソン、ワシントンのバーでのマレーネ・ディートリッヒなど、かつてケンが撮った写真が壁に飾ってあった。
29日、再びレイ宅でパーティー。今回は総勢18名で、イタリア人女性も一人いた。ジャンはトマトのサラダと焼き洋ナシのワインソースかけ、私はポテトサラダを持参。
アルゼンチン人で、ヒューストン在住の外科医と麻酔医のお二人は既にリタイアしたが、30年前、国際学会で日本に来たことがあり、物価の高いのには驚いたが、どこもクリーンで人々が親切だったとおっしゃっていた。
ジャンとリンダ。リンダとは10年前、メキシコのリゾート地で、アメリカ女性5人、日本女性3人で一緒に1週間コンドミニアムで過ごしたときに初めて会った。当時はシングルでバリバリのキャリアウーマンだったが、現在はディックが紹介した16歳上のピートと結婚している。
メインは羊のロースト。赤ワインにぴったりで美味しかった。
ホステスのレイチェルと女性客たち。
通いのメイド、リデア。
パーティーが終わりに近づいた頃、いつのまにか男性と女性と別々のテーブルになっていた。
皆さん、しっかりカメラを見ているのが良いですね。
私の周りの女性といえば、必ず一人や二人は「やっだ~!」と逃げたり隠れたりするのですが。
by ばろっく (2009-02-06 16:48)
海外で、知らない人に真正面からカメラを向けるときは、一応了承を得ますが、断られたことはないですよ。日本人はきっと照れ屋なんでしょうね。
by clifton (2009-02-06 20:47)