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「台湾生まれ 日本語育ち」を読む [読書]

雲ひとつない青空が広がり、テニスコートからは富士山が見えた。連れ合いのレッスン日だったので、付き添ってタクシーで往復。テニスの調子は良かったが、帰りのGOタクシーがなかなか到着せず、不機嫌に。電車で行くとか言い始めたが、キャンセルするとキャンセル料を取られるのよとなだめているうちにタクシーがやって来た。乗車した途端機嫌が直る。全く子どもと同じ。


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お昼は、鯖の水煮缶・タマネギ・マイタケでおつゆを作り、冷凍うどんを入れた。

11時にお昼を食べて、さっさと散歩に出る。膝が痛かろうが、家に居たくない気持ちが勝る。あまり速足で歩かないようにして、林試の森へ向かう。いつもは園内を一周するが、膝の負担を減らすために紅葉のきれいな所だけ見て、カフェに寄った。来週末はクリスマス用にワインも置くそうなので、楽しみ。


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本日の林試の森。紅葉がまだ見頃。

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ビールのお供はチーズケーキ。

温又柔著「台湾生まれ 日本語育ち」を読んだ。2016年日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した作品。台湾に生まれ、父の仕事で3歳から日本に住むことになった著者の言語をめぐるエピソードを通して語られる台湾の歴史や日本社会。著者は日本の幼稚園から大学院までずっと日本語で育ったので、物事を考えるに際して、日本語が一番しっくりくるという。両親は台湾語まじりの中国語を話し、母はそれに日本語も混ぜるので、著者はママ語と名付ける。台湾の祖母は日本統治時代の人で、台湾語や中国語があまり話せない著者とは日本語で会話する。両親は大陸から逃れてきた蒋介石の国民党政府から中国語を強制された世代で、中国語で教育を受けた。そういう環境の中で育った著者は、自分の母国語は何かと考えざるを得ない。

日本に生まれ、母国語は日本語だけという日本人にとっては、統治者が変わる度に国語を変えられた台湾の人たちの戸惑いや苦しみを真に理解するのは難しい。でも、かつて日本が他国にしたことを知るのは必要だと思う。台湾に観光で訪れて、日本語を話す高齢者に会っても背景を知っていれば、いろいろなことが聞けるはず。日本語がお上手ですねという会話だけで終わらせるのはもったいない。
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