ブータンの旅(その3:峠を越えてプナカへ) [旅]
ティンプー滞在2日目は、標高3000mのドチュ・ラ(ラは峠の意味)を越えて、プナカへ。72kmの道のりだが、片道3時間半かかった。ブータンでは自然破壊につながるトンネルは作らないので、山を削っただけのくねくねとした道しかない。
前王妃が書いた本「幸福大国ブータン-王妃が語る桃源郷の素顔-」によると、1955年生まれの著者がインドの寄宿学校に入る時、故郷のプナカ谷の村からティンプーまで馬で3日かかったという。
1955年まで首都であったプナカは、標高が1200mと低いため暖かい。ティンプーのタシチョ・ゾンの僧侶たちも11月から4月まではプナカ・ゾンで過ごす。
途中、ブータン最古のゾン、シムトカ・ゾンを道路から眺める。
道端の露店で、ドルジさんが買ってくれたヤクのチーズ(凍み豆腐のような形のもの)を味わう。固いが口の中に入れていると、ほんのりミルクの味がする。
露店の近くにいた小学生。出発前に旅行社から送られてきた注意事項の中に、ブータン政府からのお願いとして、子供たちや村人にお菓子やペン、薬などの物をあげないでくださいと書いてあった。カンボジアやミャンマーでは、バスを降りるたびに子供たちが群がってきたが、ブータンでは子供が物ほしそうにしているのを一度も見かけなかった。昔からの文化なのか、国の教育が行き届いているのか、いずれにせよ、好感が持てた。
野生のサクラソウがあちこちに群生していた。
道中、大きなシャクナゲの木があちこちで見られた。ブータンには40種類くらいのシャクナゲがあるそうだ。
沈丁花も満開。山に咲いている沈丁花を初めて見た。
葉はイチゴに似ているが、名前は不明。
ドチュ・ラ(峠)にある108塔のチョルテン(仏塔)。
車窓からヤクが見えた。
川が合流する向こうに見えるのがプナカ・ゾン。
プナカ・ゾンへは橋を渡る。
ボトルブラシが咲いているくらいなので、とても暖かい。半袖を持参しなかったのを後悔。
ちょうど昼休みの時間で、僧たちが表に出ていた。
高い階段を上って、プナカ・ゾンに入った所にある絵。
中庭には菩提樹の大木がある。
プナカ・ゾン。
プナカ・ゾンからの戻り道にある棚田。向こうの小高い丘に建つのは、チミ・ラカンという僧院。
道端に咲いていた黄色い花。葉はアカシアに似ている。
ブータンでは男根は魔除け。昼食をとったレストランの売店にたくさん売られていた。
2日の昼食。
レストラン近くにいた若者たち。ゴを着ていないと、渋谷あたりの若者と変わらない。
学校から戻ったばかりなのか、制服姿の子供たち。ブータンでは教育・医療費は無料。
昼食後、畦道を通って、徒歩20分のチミ・ラカンヘ。
チミ・ラカンは、15世紀末に建てられた子宝の寺として有名な僧院。
お坊さんが洗濯物を干していた。
小坊主2人。
チミ・ラカンから戻る途中、煙が上がっていると思ったら、なんと山火事!どんどん燃え広がっていくのを皆で呆然と眺める。ヘリコプターはないの?とドルジさんに聞いたら、そんなものブータンにはありませんと言われた。山の上にも僧院や民家があるので、大丈夫だったか心配。
帰り道、ドチュ・ラ手前で車がストップ。工事で通行止めになる時間は過ぎていたはずなのに、あと1時間半はかかるという。行く時も通行止めの時間前だったのに既に通れなくなっていて、ドライバーが掛け合って、ようやく通してもらった。結局1時間ほど待たされる。皆で青空トイレを探して、用を足した。
車内で待つのも退屈なので、同じように外で待っている人たちと話していたら、この男性が公務員でGNHの部署で働いていると判明。じゃあ、日本人女性のミタライ タマコを知っている?と聞いたら、知っているよ!というではないの。車に戻って彼女の本を取ってきて見せたら、御手洗さんが同僚と写っている写真を見て、興奮していた。
夕食に食前酒として出されたブータンの焼酎。
2日の夕食は、そばとゼンマイのような山菜があった。そばは唐辛子と油であえてあり、ゼンマイも炒めてあった。どちらも茹でたものを食べたかったが、ブータンではそういう調理法はないみたい。
前王妃が書いた本「幸福大国ブータン-王妃が語る桃源郷の素顔-」によると、1955年生まれの著者がインドの寄宿学校に入る時、故郷のプナカ谷の村からティンプーまで馬で3日かかったという。
1955年まで首都であったプナカは、標高が1200mと低いため暖かい。ティンプーのタシチョ・ゾンの僧侶たちも11月から4月まではプナカ・ゾンで過ごす。
途中、ブータン最古のゾン、シムトカ・ゾンを道路から眺める。
道端の露店で、ドルジさんが買ってくれたヤクのチーズ(凍み豆腐のような形のもの)を味わう。固いが口の中に入れていると、ほんのりミルクの味がする。
露店の近くにいた小学生。出発前に旅行社から送られてきた注意事項の中に、ブータン政府からのお願いとして、子供たちや村人にお菓子やペン、薬などの物をあげないでくださいと書いてあった。カンボジアやミャンマーでは、バスを降りるたびに子供たちが群がってきたが、ブータンでは子供が物ほしそうにしているのを一度も見かけなかった。昔からの文化なのか、国の教育が行き届いているのか、いずれにせよ、好感が持てた。
野生のサクラソウがあちこちに群生していた。
道中、大きなシャクナゲの木があちこちで見られた。ブータンには40種類くらいのシャクナゲがあるそうだ。
沈丁花も満開。山に咲いている沈丁花を初めて見た。
葉はイチゴに似ているが、名前は不明。
ドチュ・ラ(峠)にある108塔のチョルテン(仏塔)。
車窓からヤクが見えた。
川が合流する向こうに見えるのがプナカ・ゾン。
プナカ・ゾンへは橋を渡る。
ボトルブラシが咲いているくらいなので、とても暖かい。半袖を持参しなかったのを後悔。
ちょうど昼休みの時間で、僧たちが表に出ていた。
高い階段を上って、プナカ・ゾンに入った所にある絵。
中庭には菩提樹の大木がある。
プナカ・ゾン。
プナカ・ゾンからの戻り道にある棚田。向こうの小高い丘に建つのは、チミ・ラカンという僧院。
道端に咲いていた黄色い花。葉はアカシアに似ている。
ブータンでは男根は魔除け。昼食をとったレストランの売店にたくさん売られていた。
2日の昼食。
レストラン近くにいた若者たち。ゴを着ていないと、渋谷あたりの若者と変わらない。
学校から戻ったばかりなのか、制服姿の子供たち。ブータンでは教育・医療費は無料。
昼食後、畦道を通って、徒歩20分のチミ・ラカンヘ。
チミ・ラカンは、15世紀末に建てられた子宝の寺として有名な僧院。
お坊さんが洗濯物を干していた。
小坊主2人。
チミ・ラカンから戻る途中、煙が上がっていると思ったら、なんと山火事!どんどん燃え広がっていくのを皆で呆然と眺める。ヘリコプターはないの?とドルジさんに聞いたら、そんなものブータンにはありませんと言われた。山の上にも僧院や民家があるので、大丈夫だったか心配。
帰り道、ドチュ・ラ手前で車がストップ。工事で通行止めになる時間は過ぎていたはずなのに、あと1時間半はかかるという。行く時も通行止めの時間前だったのに既に通れなくなっていて、ドライバーが掛け合って、ようやく通してもらった。結局1時間ほど待たされる。皆で青空トイレを探して、用を足した。
車内で待つのも退屈なので、同じように外で待っている人たちと話していたら、この男性が公務員でGNHの部署で働いていると判明。じゃあ、日本人女性のミタライ タマコを知っている?と聞いたら、知っているよ!というではないの。車に戻って彼女の本を取ってきて見せたら、御手洗さんが同僚と写っている写真を見て、興奮していた。
夕食に食前酒として出されたブータンの焼酎。
2日の夕食は、そばとゼンマイのような山菜があった。そばは唐辛子と油であえてあり、ゼンマイも炒めてあった。どちらも茹でたものを食べたかったが、ブータンではそういう調理法はないみたい。
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