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『二宮金次郎』 [映画]

梅雨の晴れ間、洗濯機を2度回してから恵比寿へ。東京都写真美術館ホールで上映中の『二宮金次郎』を見た。昔、小学校の校庭に必ずと言っていいほどあったのが二宮金次郎の銅像。ある年代以上の人なら、薪を背負い、本を読む姿と彼の名前を覚えているだろう。私が通った小学校にも銅像はあったが、実際どういう人で何を成し遂げた人だったのか、知らないままにきてしまった。

金次郎は現在の小田原市の農家の長男に生まれ、早くに両親を亡くし、弟2人は母の実家に彼は叔父に引き取られる。懸命に働きながら、勉学にも精を出し、「論語」や「大学」を読んだ。20歳で生家の再興を果たし、農作業の合い間に商家で働き、商いのやりくりを学ぶ。その後、小田原藩の家老・服部家に奉公し、財政立て直しを任され、期待に応える。そして、彼の能力を見抜いた藩主より、荒廃した領地の再建を要請される。やがて幕府や他藩からも再建依頼が来るようになり、600もの村の再建を手掛けた。現代で言えば、財務・経営コンサルタントに農業コンサルタントを合わせたような仕事か。55歳の時、その功績が認められ、幕臣に登用され、以後、尊徳と名乗った。

映画では小田原藩士となった金次郎が藩主の命で、下野国桜町領(栃木県真岡市)の復興に取り組む姿を描いている。土地も人の心も荒廃した地で、金次郎のアイデアや意図はなかなか理解されず、悪戦苦闘する。徐々に村の人々は彼の誠実な人柄を慕い、事業に協力するようになるが、中には不満をもつ人もいた。特に金次郎の上役にあたる役人は百姓上がりの金次郎に妬みを抱き、彼の復興策にことごとく反対する。行き詰った金次郎は行方知れずとなる。成田山で断食修行をしていた金次郎を見つけ出し、迎えに来たのは村の人たちだった。

金次郎は学問好きで誠実な努力家だけじゃなくて、思想家であり、その実践者。江戸時代の封建社会で、農民から幕臣まで駆け上ったのは見事だが、彼を登用した小田原藩の家老や藩主に人を見る目があったということだろう。

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今日、弟から届いた野菜の中にそら豆が入っていた。ビールのつまみにしたほか、牛肉とシイタケのオイスターソース炒めに使った。
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