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オリンピックで思い出す [つぶやき]

台風の余波か、強風と蒸し暑さで不快指数が高い一日だった。昨日は2人で家に引きこもっていたので、今日はまず連れ合いとパン屋へ。お昼を食べてから、1人で図書館とスーパーに行って来た。

オリンピックが閉幕した。自国で開催されたのに全くわくわく感がなかった。テレビがないので、ネットと新聞で記事は読んだが、メダルの数より、一体どのくらいの費用がかかったのかとそちらの方が気になる。

福島県須賀川出身のパン屋の店主と円谷幸吉さんの話になる。小・中学校の先輩にあたるそう。1964年の東京オリンピックのマラソンで銅メダルを取り、次のメキシコ大会の年に自ら命を絶った人だ。川端康成と三島由紀夫が激賞したという「父上様 母上様 三日とろろ美味しゅうございました」で始まる遺書はあまりにも有名。三日とろろと聞いて、正月の三日に実家に帰っていたのだなと福島県人ならわかる。三日はとろろご飯を食べる日なので。

身体の故障を抱えて、思うように走れず、それでも国民の期待に応えねばというプレッシャーに押し潰されてしまったのだろう。当時は選手のメンタルケアなんて考えられない時代だった。生きていたら、まだ80歳くらいのはず。聖火リレーに出られたかも。


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近所の朝顔。以前はテニスクラブのHさんから苗をいただいて、家で咲かせていた。
コメント(2) 
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コメント 2

pecotyan

円谷幸吉さんのマラソン銅メダルは鮮明に記憶に残ってます。父がその時期、須賀川の電話局にいました。当時は電話が各家庭に無かったので局に父親に来てもらい電話での親子の喜びの場を設けたと聞いてました。
両親への遺書の冒頭は本当に胸が詰まります。オリンピック選手のメダルの重圧は計り知れないものがあると今回もひしひしと感じました。
by pecotyan (2021-08-10 04:28) 

clifton

そういうことがあったのですか!
確かに当時は我が家にも電話がありませんでした。
前回のオリンピックは私たちが高二の時で、体育館で交代で
テレビ観戦をした記憶があります。メダルで印象に残って
いるのは東洋の魔女と言われた女子バレーと円谷さんです。
期待されるほど重圧がかかるので、大坂なおみさんも辛かった
でしょうね。
by clifton (2021-08-10 07:37) 

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